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中谷彰宏さん



今月の人- 一覧 -
05年03月:長江俊和さん
05年02月:中谷彰宏さん
05年01月:泉麻人さん
04年12月:南さん
04年11月:木村和久さん
04年10月:成田勝さん




1959年生まれ。作家。83年早稲田大学在学中に小説「目覚まし時計の夢」で作家デビュー。卒業後は博報堂入社し、数多くのCMを手がける。中でもラジオCMではACCラジオCM賞を受賞し、高い評価を得る。その後「面接の達人」シリーズ(ダイヤモンド社)、「明日は、もっとうまくいく。」(PHP研究所)など、数々のベストセラーを送りだす。年間70冊を超える執筆活動とともに、オスカープロモーション所属の俳優としても活躍中。

博報堂時代に、リクルートの「フロムエー」のラジオCMを担当していました。当時ラジオCMは長くても60秒。僕はもっと長い、ドラマのようなラジオCMをやりたかった。そこで、120秒のラジオCMを企画しました。28歳のときです。内容はインタビューで、日本からロサンゼルスに渡り、ショービジネスで成功しようとがんばっている若者に、2週間かけて50人に会いました。話を聞いていて、僕はショックでした。自分は本当にがんばっているだろうか、もっとできることがあるのではないか、と考えたし、まもなく定年を迎えるミキサーの辻さんは、「僕やっぱりこっちでラーメン屋さんやるよ」と言い出すくらい。この企画は翌年もしました。だからロサンゼルスのショウビジネスにいる日本人の若者たちのほとんどに会いました。このひとたちの多くは今、成功しています。それがとてつもなくうれしい。僕が本を書く原点はここにあります。そして多くの本は当時まだ20代だった彼らのような人へのラブレターです。
# by eighties_006 | 2005-02-04 16:28

博報堂時代は率先してラジオのCMを作っていました。テレビCMにくらべて儲けも少なく、人気は低く外注する人も多かった。周りからは少し不思議がられましたが、 一つのテレビCMに関わる人数は100人。これはストレスがたまります。なぜならば成功しても誰の力かわからない。失敗しても誰のせいかわからないので、なすりあいになる。自分のたたいている太鼓の音が聞こえない。ラジオは究極的には自分とミキサーさんがいればいい。2人でできます。これは厳しいけど健康的な関係です。それに小さいときからラジオが好きだというのもあったので、これは楽しい仕事でした。
# by eighties_006 | 2005-02-04 16:28

博報堂には84年に入社しました。映画監督になりたかったのですが、この時期は日本映画がもっとも元気がないときだった。42歳の監督がデビューして期待の新人と言われていました。これは大変だ。23歳の若者にとって40歳は途方もなく遠く感じますからね。20代では何もやらせてもらえないに違いない。とにかく早く自分で何か作りたかった。短くてもいい。文学部の学生にとって、監督をやりたかったら、映画会社かテレビ局でドラマの制作をするというのが一番わかりやすいコースだった。当時、映画は年間70本製作されていて、そのうちの半分は日活ロマンポルノ。CMは1日600本流れている。CMだったらもっと早く監督ができるんじゃないだろうか。それで博報堂に入りました。
# by eighties_006 | 2005-02-04 16:28

映画を観まくり、膨大な数の本を読み、月に1つのシナリオを執筆し、授業に出席、大学時代はとにかく忙しかった。特に映画は1本2時間くらいとして、3本観る日は1日6時間、5本の日は10時間、この時間は短くできない。授業も学ぶことが多く、サボれない。この両立が難しかった。だいたい、演劇科なのに映画を観る時間がないのは困ると、まず大学から1分のところにマンションを借りました。本当に時間が足りないと、移動距離すらもったいない。時間を意識するようになったのはこの時期からです。同時にスピードもつきました。できるものは「もっと速く」と4年間思い続けたからです。特に、読書スピードと、執筆スピードは、このときに格段にあがりました。この時期はいい「タイムマネジメント」の訓練期間でした。
# by eighties_006 | 2005-02-04 16:28

大学在学中(79年~84年)は「1日に3本、月100本の映画を観る」「月に1本シナリオを書く」これを自分に課していました。「映画監督になりたい」と思っていたので、合コンしたいとか、サークルに入ろうとか、大学生活を楽しみたいという発想はなかった。スピルバーグは20代で映画を作っている、作るにはできるだけ多くの映画を観なければならない。そして、映画監督になるための一番の早道はシナリオを書くこと。早くしないと30代になってしまう。結局、大学時代の4年間で4000本の映画を観ました。この映像の蓄積は大きい。頭の中はいまでも映像でいっぱいです。これが、僕のあらゆるクリエイティブなことのベースにもなっています。
# by eighties_006 | 2005-02-04 16:27

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